戦争の悲惨さ・平和の大切さ・命の尊さ
慶良間諸島は、渡嘉敷島、前島、座間味島、阿嘉島、慶留間島、屋嘉比島、久場島、など大小20
余の島々からなり、渡嘉敷村と座間味村に分かれています。昔「群れ島」と呼ばれたこの美しい島々も、沖縄戦で多くの血が流された島として、歴史に刻まれています。
米軍の攻略部隊は、1945年3 月23 日、数百の艦艇で慶良間諸島に砲爆撃を行い、ついに3 月26 日には座間味の島々へ、3 月27
日には渡嘉敷島にも上陸、占領し、沖縄本島上陸作戦の補給基地として確保しました。
物量に劣る日本軍の特攻部隊と住民は、山の中に逃げこみました。パニック状態におちいった人々は避難の場所を失い、島北端の北山(ニシヤマ)に追いつめられ、3 月28
日、集団を組んで自決しました。手留弾、小銃、かま、くわ、かみそりなどを持っている者はまだいい方で、武器も刃物ももちあわせのない者は、縄で親兄弟の首を絞めたり、首を吊ったり、この世のできごととは思えない凄惨な光景の中で、自ら生命を断っていったのです。〈渡嘉敷村ホームページより〉
国立沖縄青少年交流の家はこのような悲惨な歴史の舞台となった北山(ニシヤマ)に位置し、平和の発信拠点として戦争の悲惨さ・平和の大切さ・命の尊さを学ぶ平和学習を推進しています。